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挫折

              「紡がれた運命」



 それから2週間程、お兄ちゃんはのんびりしたり、僕とおっかけっこをしたりして過ごし、そしてまた、厩舎へと戻っていった。日本ダービー制覇に向けて。帰る直前のお兄ちゃんの顔は、僕をからかって意地悪そうに笑うあの顔ではなく、戦場に向かう顔付きに戻っていた。

 僕も本格的に追い運動などをやるようになってきた。えっほえっほと毎日走っている。走るのが楽しくて仕方ない。1番になったらママが褒めてくれるしね。そんな事を繰り返し日は経っていった。そして、いよいよダービーを3日後に控えた早朝、突然悲報はもたらされた。

「サンライズ故障、ダービー絶望。引退か?!」「皐月賞馬屈鍵炎。最悪引退」「皐月賞馬サンライズ、2冠ならず」
 その日の各新聞にも大きく報じられた事件。そう、お兄ちゃんがケガをしたらしい。それも、大きなケガ。お兄ちゃんは大丈夫なのか心配になった。 その事件は、ミチシタさん達にとってはもっと衝撃的だったようで、みんな口数が少ない。雰囲気が重い。みんな怖いよぉ。

 その後、結局お兄ちゃんは正式に引退が決まった。あの日の午後、馬主でもあるミチシタさんがすぐにお兄ちゃんの様子を見に行って決めたらしい。そして、ダービー当日の午後、お兄ちゃんは牧場へと帰ってきた。これからはここで種牡馬として生活するんだって。早過ぎる競走馬生命。お兄ちゃんはひどく悔しかっただろう。

 落ち着いた頃を見計らい、ママと一緒に数週間ぶりに顔を合わせに行く。それはもう元気がなく、悲しそうにふっと笑って、
「約束守れなくてごめんよ」
 と呟いた。ママはそんなお兄ちゃん見て優しく笑い、そっとほお擦りをしていた。押さえていたものが込み上げてきたのか、お兄ちゃんはそっと涙を流してた。

「母さん、ちょっといいかな?こいつと話がしたいんだ。」
 しばらくして、不意にお兄ちゃんが切り出す。そうしてキョトンしている僕を促すように連れ出す。そして黙ったまま少し歩いて立ち止まる。それでもお兄ちゃんはまだ黙ったまま。こうゆうパターンは怒られるような気がして嫌い。ビクビクしていたらようやくお兄ちゃんが口を開いた。

「オマエは母さんにやここにいるみんなの事好きか?」
 意外な質問にたじろぐ。
「え、うん、当たり前だよ。何でそんな事聞くの?」
 そう聞き返した僕にお兄ちゃんはゆっくり語り出した。

「俺も大好きだった。だから今日出るはずだった日本ダービー、これだけにはどうしても勝ちたかった。競馬に携わるモノなら誰もが夢見るっていうダービー優勝。それをみんなに持って帰ってきてやりたかった。毎年、たくさんの競走馬が生まれているけど、勝ち上がれるのはほんの僅か。そこからダービーに出れるのは僅か18頭だけだ。そして、その栄冠を手にできるのは毎年たった1頭だけ。わかるか?このレースに出れるだけでも並大抵ではないんだ。出られるはずだったそのチャンスを、俺はみすみす逃した。誰が悪いとか言わない。ただ悔しい。そして、申し訳ない。」

「ずっとダービーは確実だと言われ、天狗になっていたかもしれない。事実、故障する寸前まで心のどこかですでに勝った気でいた。罰が当たったのかもな。愚かな己を怨むよ。本当にバカだよな…ただもういくら嘆いてもどうしようもない。だから、俺の果たせなかった夢をオマエに託したい。」

「え、えぇ?!」
 急に振られ僕は動揺した。
「そんな、まだデビューもしてないし、お兄ちゃんみたいにすごくはないよ…。」
 尊敬していた偉大な兄から突如、夢みたいな偉業を託され慌てた。正直、お兄ちゃんみたいになれる自信はなかった。

「前におっかけっこをした時に思っていたよ。スピードは今からもっと伸ばせるだろうし俺なんかより体力もある。あの時、俺は息が切れていたのにオマエはけろっとしていた。正直びっくりしたよ。そして、羨ましかった。いつか一緒に走る時がくるかと思うと怖くもあった。オマエは俺なんかよりも才能がある。そして俺にないその無垢な心も持っている。俺の夢を託せるのはオマエしかいないんだ。」
 力強く訴えてくるその言葉に圧される。
「で、でも…。」
「せめて、オマエが引き受けてでもくれなきゃこのやるせなさをどこにぶつければいいんだ?勝手なのは分かっている。今はただ、黙って託されてくれるだけで、それだけで救われるんだ…負けたからと責めたりもしない。だから頼むよ…。」

 悲観の叫びを聞いて改めてお兄ちゃんの悔しさを感じた。そんなもの聞いてしまったらダメだった。
「わかった。自信はないけど、僕、頑張る。お兄ちゃんとママとここのみんなが喜ぶなら頑張る。」
「ありがとな。少しは救われたよ。そろそろ母さんが心配するだろうし帰ろうか。涙は拭いとけよ。心配されるぞ。」
「うん、お兄ちゃんもね。」
 そんな会話を交わしながら兄弟肩を並べて歩いた。

第五話 「命名」に続く。

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